沢山の「やりたい」こと
まさに沢山やりたいことがあって、それには当然のように「やりたくはないけどやらなきゃいけない」こともまるでアメリカから来たハンバーガーチェーンのセットのようになっている。・・・まぁハッピーなセットじゃねーけどね。
・・・
俺はやりたいことばかりをやっている。自分に正直に言ったとしてもやりたくないことの方が日常では少ない。とは言え上にも書いた通りいくつかのやりたいことはやりたくないこともセットになっているから(表裏)表側のやりたいことの裏側に貼り付いているやりたくないことのラベルをベリっと剥がしてがんばらないといけない日もある。
昨日なんて日は朝の5時過ぎくらいに目が覚めたんだけど、理由は単純で嫌な夢を見たからだ。
シュチュエーションだったりその夢の輪郭はもう忘れてしまったけれど、支払いの忘れがあったことに焦ったってことだけは覚えている。梅雨寒が一段落して夜の東京は暑くなってきていて挙げ句に雨はまだ降っていて湿度の高い寝室になっていた。それに加えてこんな恐怖の夢を見る。ガバっと焦って目を覚ますとパジャマ代わりにしているTシャツの首周りにはびっしりと汗をかいていた。
まるでドラマのように「夢か・・・」とひとりごちて焦りの気持ちを吹き払うように大きく一度息を吸い直してからトイレに行った。
恐怖の目覚めのあとにもう一度眠りにつくことは出来なくて、PCの電源スイッチを押してからもう明るくなり始めた空の下ベランダで煙草を1本吸いに出た。
家は環状線に面していてこんな時間でももう車は数台動き始めている。
俺だけじゃない。
どこかでいつでも誰もが働いている。
「やりたいこと」も「やりたくないこと」も。
明け方の街を見ると悲しくなって、でも勇気を貰う。
いつも。
やりたことの為にするやりたくないことへの努力は好きでもないし嫌いでもない。でもやっぱり時にどうしようもなくそれはきっと必要な作業に近いこと。だってコインの表には必ず裏側があるんだもんよ。
とは言え俺にとっての嫌いなことはあんまり多くはないんだとも同時に思う。つまりはやりたいことの裏側にあるやりたくないこと「以外」のやりたくないことはもっと手前から放り出してしまっているから。まぁ無責任な人間で無責任な人生を送ってきたってことだよね。まさしく。それによって失ったこともきっと沢山あることは心のどこかでは分かっているし知っている。それを覚えていられないほどには子供ではないってことだから。でも、俺はそれでいいと思っていたしそれでいいと思っている。
話は少し脱線するけど、俺にとっての人生とは(命の導線の長さとでも言おうか)「大きな暇つぶし」だと思っているから。
つまりね、生まれたくて生まれたわけじゃない。
親ってものが居て、親が欲しいと願い、その偶発的な存在として俺はここに存在している。
そういう意味でそれを受け入れられるようになってからの時間で言えばきっとまだ10年かそこら。いや、10年経っていないかな。8年かそのくらい。
で、これまたそういう意味においての俺が思うにはこの偶発の生命をどう楽しめるかだと思うんだ。そういう意味での暇つぶし。忙しい暇つぶし。楽しくするための忙しい時間。
時々ね、地面から飛んでみる。
たかだか3cmとか5cmくらい。
ぴょんぴょんってさ。
ふっと心と身体が軽くなるのを感じるんだわ。(試しにやってみて)
人のことは到底言えないがいつも何気なく心を重く感じがちになる。そして心が重くなるとそれは自然に体も重く感じるものだ。
見えない重力的な圧力が脳天から肩から地面へ向けて俺を押しつぶそうとしてくる気配。
「ふがー!」って力を入れてそれらを押しやる気持ちや力が必要な時もあるけれど、それは重力へ対する重力的な反発でそれってなかなか疲れてしまう。
そんな時体を軽くぴょんぴょんってやるといいんだな。
ふっと息を吐いてぴょんぴょんと。
・・・
ただね。大きな問題はぴょんぴょんは心と身体を軽くはしてくれるけど、現実的に在るコインの裏側を消してはくれないってこと。(笑)
ぴょんぴょんしたら今度はもう一度デスクへと俺は闘いに向かうのだ。
* camera _ SONY α7 R2 / lens _ LEICA SUMMICRON 50mm f2.0
「一ヶ月ぶりのワン家族との休日」
こんな散文が誰かに届いてそれがなにかに変わると嬉しいなと思います。
そんな今日も遊びに来てくれてありがとう。