おいら流れる洋服屋さん
俺が「編集」を手掛けるお店でちょっとした企画イベントをしています。
>>> garageeden.com
ふと、思いついた企画の名前は「six eyes」というもので、その名前は俺が最初に働くことになった洋服屋と同じ名前。そういった意味でもなんだか思い入れが強いフレーズになった。
昔(というのはおいらがまだ若々しかった20年くらい前のことね)は田舎の街にも「人が集まる洋服屋」ってのがいくつかあったように思う。
もちろん自分自身が若かったし、未知が多かったから他の街のことはそんなに沢山は知らないけれど、感覚的に言ってもそういう店は多く在った。で、そこには「その日に買い物をしない人たち」も良く居た。つまりは買い物をしもしないただの人。(ある意味ではサクラだな(笑))でも、そこにはなんだか色々と良く分からない人が居るんだけど大体が気の良いアンちゃんたちで、そういった店の多くはその店のアンちゃんが良いアンちゃんってことだったりする。
自分ごとで言えばやっぱりそういう店があって自分自身が洋服屋になる前の10代の終わり辺りにはそういった店に行くことが楽しみで仕方がなかった。ただし、おいらの場合はちょっとひねくれ者の変わり者(当時はそう思ってなかったけどこの歳になれば自分がちょっと世間の端っこを生きていることくらいは分かるようにもなったかな)だったからそういった多く集まっている人を少しだけ避けつつ、でもその環の少し端っこに一緒に居るのが楽しいと思った。なにより店のアンちゃんはとても魅力的でまだ若い自分が知らない「カッコいい世界」を知っていた。(もしくは知っていそうだと思わせてくれた)
最初はもちろんその環には入れて貰える筈もなく、ただの買い物に行くだけの人間で通っていく中で「あれ?君この間も来てくれたよね?」みたいなアンちゃんからの言葉で「また来いよ」っていうフレーズを本気にしてまた店へ行ってお金を使い結果「君ちょっと今暇?暇ならコーヒーくらい飲んでいきなよ」って常温の缶コーヒーを渡されて・・・みたいな流れになるもんだった。
今の世の中はどうやらおいらが知らない間に少しづつ変わっていったらしい。
化石みたいに同じ場所にジッとしてると時代にまんまと置いていかれる。(実感)
「ハローなんとか〜」って携帯に叫ぶと(叫ばないでもいいんだってね)『おお!それは君!こうなんだよ!!!』って色々と教えてくれるらしいのだわ。
おじさん(俺ね)機械に向かって話せるほど心が強くないし人見知り(機械は人じゃないけど)だからそんなことは叫べないけど(だから叫ばなくていいんだよね)どうやら世界は知らないうちにぐるぐると回っているらしいんだわ。(みんな知ってるの?やってるの?)
話を戻そう。
つまりね、街のアンちゃんたちはある意味ではいらなくなってしまったんだってね。
そうか、そうか。
おいらが最初に Tom Waits を知ったのはブランキー・ジェット・シティのベンジーが「スクラッチのギターはTom Waitsを越えた」って書いてあるのを見て『そりゃぁトム・ウェイツってのを聞かなイカン!』って思って聞き始めて最初はなんだか意味も沸かなかったしグッとこなかったけど、気がついたら死ぬほど好きになっていってその後の自分の人生そのものの指針になって生き方そのものを変えてくれた。で、その手前のブランキーを教えてくれたのは洋服屋のアンちゃんだった。
つまり、別にそんなのは感受性と感受のボールを受け取ったあとの自分の処理なのかもしれないけれど街の洋服屋のアンちゃんが間接的だとしても俺の人生を変えた、岐路になった人だったってこと。これももうないけど、昔の映画とかで線路の分岐点ででっかい鉄の塊のレバーを「こっち〜。ガッチャーン!」みたいな・・・。(分かる?)
うちの店にも導入しているし(もちろんそれらも俺が作ってるけどさ)世間でもECサイトっていう通販が当たり前になっている。(あ・・・今更ECってなんの略だ?・・・知らないことは調べよう、知っていて損はないもん。・・・ちょっとその為に別のページへ・・・ほい!・・・あ、、、叫んでない(笑)、やっぱりこういうの書いていても街のアンちゃんの不要さを知るね。さてさて、ECと
便利だよ。
本当に便利。
注文からお届けまで文字通り「クリックひとつ」。
あとはクロネコにゃんこさん、飛脚の皆さん、AND MORE・・・の屈強(今はみんなそうでもないよねぇ)なこれまたアンちゃんたちが「へい旦那!届きやした!」って言って玄関前まで持ってきてくれる。
便利だよねぇ。
俺もAMAZONとか使うもん・・・RRK用のお塩を買ったり(だって近所のスーパーにフランス産のとかねーもん)、冷凍のフォアグラ買ったり・・・とか。
あ、で、そうだそうだ、街のアンちゃんたちの役割はグーグル先生とSNSに置き換わったってことで合ってるんだよね?たぶん。
みんな逢ったこともなくて声色も分からない画面の向こう側にいる人達に色々と教わったり勉強したりしてるんだよね。
・・・いやいや、やっぱり俺もそうか。(楽しい時もあるよね)
便利で楽しいんだけど、少しそこにはなんだか虚しさのようなものを俺は感じる。
生きてて、血の匂いがしないっていうか、獣の香りがしなっていうかね。
便利さとその先にあるいい意味での血生臭い楽しさって少し別のような気がするんだわ。
まぁ、時代遅れのおじさんの戯言だもんでしゃーない。でも、しゃーないけどそれを俺は残したい。
そう思うから俺は俺なりの「かっこつけ」の店を今でも続けている。
景気の良い時もあって、悪い時もある(←NOW!)・・・良い時には随分とお金を持ち逃げされたなぁ・・(こりゃオフレコだからここは書けないわ)
完全な水商売だと思ってる。
時代とか流行りとか。
知らねーけど。
しかし神田松之丞のラジオが面白すぎて・・・
あぁ、ダメだ。現実から逃げようとしてる。(汗)
神田松之丞の話はまた今度。(笑)
そう、でも洋服屋って楽しいの。
俺は俺でバタバタでもう街のアンちゃんには戻れそうにはないし、そういった時間がなかなか取れないのが現実だけれど自分の店って場所で誰かと誰かが出逢ってそこから少しづつカッコ良くなっていく姿を見ると涙が出るほど嬉しくて、楽しくて。
あとは「これで人生変わりました」なんてことを言われたら、これは掛け値なしに「生きてて良かった」って思える。
自分の居場所がこの地上の上にあってもいいんだってね。
さて、他の仕事もあるからこのプライベートなある意味無意味なブログを〆よう。
「最強」の洋服屋ってのはたぶんお金をいっぱい稼ぐ店かもしれない。
でも、俺は「最高」の店ってのを目指している。
つまり誰かにとって「俺にとっての最高の店は garage eden って店だ」って言って貰えるように。
その為においらたちなにが出来んのかな?
この仕事にどれだけのプライドを命を掛けて向かっていけんのかな?
その削った命のふりかけをどれだけ感じて貰えるだろうか?
そういうことだと思ってる。
たぶんこんな洋服屋のスタイルっていつの日かなくなるかもだけど、どこかでこの魂が残ったらいいなって俺は思うんだ。
さて、今度は俺が思う「カッコ良くなるための話」とかも書こうかな。
ハッキリ言っておくよ、散々今洋服屋、とか洋服ってことに関して書いたけど実はそんなモノなんてなんでも良くてたいしたことねーよ。
それに気がついたらあっという間にカッコ良くなれるんだよね。
そんなこんなもお楽しみに。
I LOVE 流れ者と弾かれ者たちへ