いつだって
なにからなにまでどうにもならないような日々を過ごしている。
自業自得と反省と。
そんな中だけれど少し前の話。
自宅から新宿だなんて場所へ行く機会があって、そんな時に電車の中でくらいでしか本を読む時間を取れないと思って15年くらい前に読んだことのある本を開いた。(昔に読んだその本はもう俺の手元にはなかったけれどカミさんが偶然中古の本屋から買ってきたのだ)
200ページというページの分量はちょうど2時間といったところ。(30分/50pというのが俺にとっての相性の良い読み物だということは知っている)
江國香織(どのタイトルを読んだかは敢えて書かない)
隙間のある文章と空白のある段落的な空間が好きなのだ。
どこか脆くて、儚い物語の中にたった2時間そこに自分自身が飛び込み埋まることである種のなにかを「取り戻す」ことが出来そうな気がする特別な時間で、行きの1時間でほぼ半分を読んで帰りは本を読みたいが為に遠回りをして巡回するバスに乗ってちょうど1時間でその合計は2時間となって物語が終わった。
自分にとっての読書という世界。本の中の隙間に潜り込むこと。その大切さを思い出した気がする。
正直言えば取り戻した世界は翌日にはあっさりとどこかへ消え去ってしまう。
今はきっとそれもまた本当の世界なんだと知る。
ふっと、空を見上げながら息を吐く。
「もうすこしは」
目の前に広がった膨大で散り散りになっている今の様々なことを自分なりにやっつけていく。それがここ1ヶ月くらい。落ち着きたいなんて夢みたいなことを(笑)想いながら。でも空想や理想を追いかけなければそれが現実になんてならないような気もしている。つまりは一見架空とされる(またはフィクション)物語だってそれは自分にとっては本当の中の出来事であることに変わりはないのだから。
昨日はいくつかの仕事(元々の仕事)のタスクを消しながら行動しつつ、同時にクライアントからの問い合わせや話を進める。気がつけば1人が抱える職業をいくつか持っているのだということに気がついたのは最近のこと。別に変だとは思わないしそれでいいし、それが良いと思っている。いつかまたゆっくりとこんな惰性で無駄しかない文章を2時間くらい書いていたいな。それがつまり自分にとっての療養であることを俺は知っているから。その日まで、今は、今は。
さて、今日もまた。