時の洗礼を信じている
古いものが好き
掲載している写真もボディはそこそこ新しくてもレンズはいつも古いもの
バイクは70年も前のエンジン
車は・・・ちょっとだけ古い
読む本は2000年代も読むけれど、基本は90年、80年、70年代(それ以上だと流れ的にすこし読みづらいものもあるのでそこはまた別)
音楽も同じく。(2000年代になってからはほぼ新しい音源は持っていない)
時間という洗礼を受けたもの
わかりやすくて良い
基準として
「残ったもの」
という信頼性や信憑性
出来れば時間を無駄にはしなくない
そんなに暇ではない
今は
いつか もし そんな日がくれば
壮大な無駄の時間の中で無駄なものに戯れるのもいいけれど
(Camera – Sony – α7R2 / Lens – Leica – Summarex 85mm f1.5 – 1949年製)
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今日の1枚
ただのテストショットの風景ですが風景自体の掲載が珍しい。
パープルのフリンジが全体に。。。
まぁ、これはこれでって感じです。
古いレンズならではを出来ればそのまま大切にしたいと思ってしまう(単なるいい加減)のも悪くはない。
古いもの(レンズやボディやフィルムや写真に関連するものにかかわらず)って尖っていて丸くて優しくて激しくて。
そういったある種の矛盾性に心惹かれてしまうのだ。