着地点はまだ決めず
文章を先に載せるか、写真を先にするか。
昨日までは数日写真を手前に置いた。
けど、どうにもしっくりこないからやっぱり後ろにしてみる。
着地点は決めない。
ただ、今は書きたいことを散文的に。
そもそもとしてこれは完全にパーソナルなモノ。
ショップのオーナーでもバイヤーでもないし、デザイナーでもないし写真は載せるけどただの趣味だし。
バイクとかも載せたいなぁと思ったりするけど日常はとにかく被写体がカミさんかワン子供の生活(仕事で使う写真はこっちには使わない)だしなぁとにゃむにゃむ。
「あと5年で店閉めます」
そう言ってからあっという間にもうすぐ1年が経つ。
自分でもびっくりだったけどなぜだか不思議と自然にその言葉は自分のそこに在ったのだと思う。
3年前に長女のいちごが居なくなってしまった。
去年には次女のみるくが。
2人が同じ日付で空へと逝った。
ついでに逢うことも出来なかった義理の父も。
不思議なことばかり。
元々どう考えても内向的で非社交的(決して反ではないけれど自然と非となる)、非社会的な人間でそれを辿ればこれまたどう考えてもひっくり返しても接客業であるとか人前に出る仕事に向いているはずもなくそんな自分が作る洋服屋は地下に隠れた会員制という完全な非社会ショップであると言える。
つまりそんなやり方だったら当たり前に商売として成り立たない。
もしも誰かがそんな店をやってみようと思って相談されたら判を押したように僕も賛成しないだろう。
自分だったら出来る。
とか、そんな自信もなにもどこにもなくて、単にやっぱりいちごもみるくもいなくなってしまった世界に辟易したり一種の絶望の渦に足を踏み入れてしまってどこかで自分自身を破壊したかったのだろうと思う。
それはたぶんではなく、間違いなく。
どうにも昔からそういった部分がある。
自分を壊したがる習性というか本能というか。
そういった自分自身を救ってくれたのは間違いなくカミさんとワン子供たち。
だから僕はこの命の全てを彼らに捧げる。
時々はどうしても未だに自分の中に住む破壊神が顔を覗かせることがあるけれど、寸でのところで止めてくれるのは偶然に出会った女神たちであると信じていたい。
今日は6月9日
そう、ロックの日。rock
「Rock、Rockと世間が言うが一体Rollはどこにいっちまったんだい?」
そんなことを昔キース・リチャーズが言っていた気がする。
絶対に忘れない言葉。
そんなロックの日は記念すべきカミさんとお付き合いを始めた日。
今日が丸10年。
そんな日を毎年ありがたがっているのは高校生みたい?(笑)
別に構わない。
素敵な人と出逢えたことには毎日毎瞬間感謝しながら、迎える記念日も大切にしたい。
世界の全ての人がそういった人に出逢えたらいいなって僕は思う。
世界の1番端っこだけれど、そんな見本にすらなりたいと想ってる。
だから遠慮なく僕はカミさんが大好きだとホウボウで言う。
四十を越えても恥ずかしげもなく。
だって世界が素敵な方が嬉しいから。
Camera / Leica – M – Typ240
Lens / Leica – Summicron 35mm f2.0
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