毎日触れてもいいなと思う
正直言って若い頃(もう若くはないのかな)は注意力散漫だったし今もある意味ではそうだと思う。
けれど、随分と愛情に関してだけはまっすぐだ。
そう、茹でる前の乾麺のごとくまっすぐ。
失うことの恐怖がないわけではないけれど、そうめんのように白くてまっすぐに純粋にそう想うのだ。
それを僕の心にくれるのはカミさんであり、ワン子供たちのおかげ。
彼女、彼らの心が僕をまっすぐに導いてくれているのだ。
そう、想う。
(Camera – Sony – α7R2 / Lens – Leica – Summarex 85mm f1.5 – 1949年製)
※ 画像のクリックでスケールアップします
今日の1枚
当然(というのは良いこととは言えないが)撮って出しのjpegです。(どう考えても編集時間は無い)
無加工、無調整の牛乳のごとく。(今日は食べ物比喩多め)
人っ子一人いない砂浜の夕方。
奥へと流れていく電信柱がいい感じ。
柔らかい芯が心地よい。
ちょっと茹ですぎたそうめんみたいに優しいのだ。